―昼の仕事の経歴― |
1993年 高校卒業後コックの世界へ
・イタリア料理の調理師として修業
2002年 営業会社へ転職
・バリバリイケイケの飛び込み営業の仕事を経験
基本的なセールスの技術を学ぶ
2004年 不動産業界へ転職
・土地の仕入れ
・投資用ワンルームマンションの販売
・抵当流れ(競売)の手続き代行業
・賃貸の部屋付け営業の仕事、賃貸の仲介業
など、職を転々とした時期です。
2006年 大手不動産仲介業へ転職
自宅用不動産売買を中心に不動産売買仲介業
2009年 知人の小さな不動産会社へ転職
大手の会社員としての属性を利用し、
一棟ものマンションをローンで購入。
サラリーマンのお給料より不動産からの家賃が多くなり、
ノルマのきつい大手を退職し、のんびり不動産の修業中です。
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―大家さんとしての経歴― |
2004/11 一件目の不動産を購入 (収益・投資用区分所有マンション)
2005/08 二件目の不動産を購入 (収益・投資用区分所有マンション)
2006/12 三件目の不動産を購入 (自宅用区分所有マンション)
2007/08 四件目の不動産を購入 (収益・投資用区分所有マンション)
2008/03 五件目の不動産を購入 (収益・投資用連棟式一戸建て)
2008/11 六件目の不動産を購入 (収益・一棟ものマンション)
2009/09 七件目の不動産を購入 (収益・投資用一戸建て)
2010/01 八件目の不動産を購入 (収益・投資用連棟式一戸建て)
2010/02 九件目の不動産を購入 (収益・投資用一戸建て)
2011/02 10件目の不動産を購入 (収益・投資用一戸建て)
2011/02 11件目の不動産を購入 (収益・投資用一戸建て)
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―私の経歴― |
・15歳の高校入学のころに初めた飲食店のアルバイトがきっかけで、料理の世界に興味を持ち、卒業と同時に料理人の世界へ入りました。
高校時代を入れると、約12年間料理の調理師の世界で過ごしてきました
。
・2000年26歳のころ、独立(自分の店を持つ)を強く意識するようになり、繁盛店の作り方、小さなお店の作り方などの本を読んでいるときに、ふと本屋さんに
金持ち父さん貧乏父さん ロバート・キヨサキ著 の本を見かけました。
最初は、「なんか面白そうな本だなぁ〜」と軽い気持ちで購入し、読んでみました。
この本との出会いが私の人生の目標が大きく変わるほどの強い影響と衝撃をうけました。
・人生の目標を 「自分の店を持つ」 から 「経済的な自由を手に入れる」 に変更し、自分の店はいつでもできる。
今、自分に足りない技術を学ぶべき時期であると思うようになり、思い切って、営業の仕事へ転職ことを決意しました。
しかし周り家族や知人からははかなり反対されました。
あまり人としゃべるのが、得意ではない私です。
一日中もくもくと仕事をする、職人気質な性格も、変えなければいけませんでした。
せっかくこれまで厳しい修行に耐え学んできた、料理師としての技術、キャリアを捨てることに対して正直、抵抗がありました。
しかし、経済的自由を手に入れたい。という強い決意は変わることがなく、チャレンジする道を選び、営業の仕事に転職することにしました。
・経済的自由を得る方法として、株や事業ではなく不動産にターゲットを決めました。
しかし、具体的にどう行動すれば、自由になれる?
不労所得はどうすれば手に入る?
不動産はどうやって手に入れる?
となにをしてよいのか見当もつかず、不動産がほしいなら、内側に入ってしまえと安易な考えで、不動産業界へ転職することにしました。
・不動産業界もたくさんの、業種があります。
職を転々とする中で 実録 競売マンション経営 山田一著 サラリーマンでも「大家さん」になれる46の秘訣 藤山勇司著 「お宝不動産」で金持ちになる!-サラリーマンでもできる不動産投資入門 沢孝史著 などの書物を読みました。
この3作は名著だと思います。不動産のことを全然知らないときの私でも、わかりやすく、読みやすい内容です。
これから不動産投資を考えている方で、まだ読まれていない人は、だまされたと思って読んで見てください。
本を読む勉強と、仕事での実際の不動産の勉強と両方の経験を活かし、2004年11月に一件目の収益不動産を購入することができました。
不動産業界でも賃貸の仕事を選んだのは 「より現場に近づきたい」 と思ったからです。
収益を上げる基本は、お客さん=入居者の確保が重要です。入居者がいなければ、当然収入は 0 です。
入居者のニーズを的確に把握するためには、入居者に直接聞くのが一番!!と思い、賃貸の営業の仕事も経験しました。
調理師をやめて、営業職に転職したのも、不動産業界へ転職したのも、不動産売買の仲介の営業をしているのも、すべて経済的な自由を得るための勉強のためだと思っています。
不動産の営業の仕事で「元調理師」というのは、少ないと思います。
普通、調理師が転職する場合でも、働く場所であるお店や会社を変えるだけで、基本的にはコックとして調理をする仕事をします。なかなか他業種への転職は少ない職種だと思います。
私は、少し変わっているのかもしれませんね。。。
経済的自由を手に入れるため日々勉強中です。
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―私の生い立ち― |
私の生まれ育った環境をお話しますと、生まれは京都府亀岡市です。幼いころの記憶はあまりなく京都の思い出はほとんどありません。
幼いころは、家庭の事情により児童施設で生活していました。
小学校の低学年の頃になると母と父と兄の4人で狭く古く汚いボロアパートながらも一緒に暮らせるようになりました。
ただ、小学校の低学年の頃の記憶には真面目に働く父の姿を見ていますので、この頃には足をあらい普通に働いていました。
今思えばすごく貧乏だったと思います。しかしまだ幼かったこともあり、その生活が普通だと思っていました。
小学校の6年間だけで3度も引っ越しをしています。その理由が借金取りから逃げるためでした。
いつも、借金取りの人が家に尋ねに来ていた記憶があります。
今の取り立てと違い、昔はかなり厳しかったと思いますが、そこは元や○ざとその妻、子供たちです。すごまれても平気な顔をしていました。
親父の方が怖かったので、すごんでくる人がそんなに怖くありませんでした。。。
ただ、貧乏だった理由は収入がなかったり少なかったわけではなく、道楽ものの父のギャンブルと女ぐせの悪さだっと思います。
真面目に働いて当時で40〜50万ぐらいの月収はあったと記憶しています。
いつも泣いている母の姿を見てきました。
しかし、父が元気で働けたのも十数年間だけで、私が高校に入る頃には、糖尿と高血圧、C型肝炎で働けるような体ではなくなり、生活保護を受けることになりました。
そのため、兄は高校に進学せず中学卒業後すぐに働きにでました。
私は、高校だけでも卒業したかったので、公立高校の合格を条件に受験し、合格できましたので高校に通えることになりました。
授業料は生活保護世帯ということもあり、低収入者用の減免制度を利用し、授業料などは減免され、無料だったと思います。
交通費や普段のお小遣い、ほしいものは自分でアルバイトをしながら、なんとか高校だけは卒業することができました。
こどもの頃から金銭的な面で親に甘えた記憶はありません。高校入学後はすべて自分で働いたアルバイト代でほしいものは購入していました。
思春期ですので、バイクの免許を取り大型バイクを購入しましたが、毎月きちんとアルバイト代を貯金し購入しました。
この頃から金銭的な基礎や考え方はできていたのかもしれません。お金にルーズな両親を反面教師にしていたのかもしれません。
ただ、同じ環境で育った兄は、今現在も相も変わらずお金にルーズです。両親とそっくりでパチンコなどのギャンブルに夢中です。私は一切ギャンブルはしません。
ギャンブルをする人は投資をするべきではありません。自分のお金、支出をコントロールできない人が投資を成功できるとは思わないからです。
一般の人とは少し違った環境で私は生れ、育ちました。貧乏な環境、ギャンブル好きな家庭で育ちましたが、私自身はアルバイトを始め、働いてお金が手に入り始めてからもきちんとお金を貯める習慣だけはきちんと持つようにしていました。
どこか小さいながらにも両親をみていたのだと思います。反面教師として。
そんな父も2005年11月に亡くなりました。
いつもそばにいるのが当たり前だった父が今はいません。道楽もので、周りに迷惑ばかりかけていて好き勝手な人生を生きた父ですが、そんな父が私は大好きでした。
亡くなる2年前に脳こうそくのため、集中治療室に運ばれ、お医者さんからは「覚悟して下さい」と言われましたが、なんとか命を取り止めました。
しかし、その時の後遺症で左半分が麻痺し言葉もうまくしゃべれなくなりました。入退院を繰り返し最後は苦しむことなく、静かに息をひきとりました。
まだ68歳でした。まだまだ元気な方の多い歳だと思います。
そして、最愛の母も2008年5月に父のあとを追うように亡くなりました。
父が他界してからは、ほぼ寝たきり状態になり、自宅で介護するようになりました。亡くなる一年前から入院し寝たきりになりました。
父を亡くし、急に元気がなくなり、生きる気力を失ったみたいです。徐々に体力を奪われ、特に大きな病気があったわけではありませんが、老衰により最後は静かに息をひきとりました。
65歳でした。
いつか必ず訪れる 「死」 というものを普段は意識することなく、生活をしています。
私自身、いつも側に居るのが当たり前だった父を亡くして初めて、身近に死を感じました。その父のあとを追うようにして亡くなった母。人の死を分かっているようでわかっていませんでした。
あらためて、死という現実を感じ自分がなにをすべきか、どういった人生を送るべきかをあらためて考えさせられました。
普段は死を意識することなどありませんが、100%確実にいつかは訪れる現実があります。避けては通れない道です。
父の死を目の当たりにし、 後悔・悔いのない人生を送りたいと強く思い、新しい人生を歩む決意しました。
限られた時間をどう生きるかを考え、仕事やお金に囚われない人生を送るために不動産投資を続けたいと思います。
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