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2.★プロフィール サイトコンセプト 人生の目標 サイトマップ(準備中)
人生年表 (自己紹介) プロフィール紹介
0歳 | 1974年 (昭和49年) |
生まれる 貧乏な家で育ち、いつもお金がありませんでした。 それが当たり前だったことと、周りをあまり気にしない性格でしたので、 特に気にすることなく成人したと思います。 |
18歳 |
1993年 (平成5年) |
調理師コックとして働き始める 高校卒業後、自分のお店を持つこと夢みて、プロの調理師として働き始めました。 |
26歳 |
2001年春頃 (平成13年) |
全ての始まり 調理師として独立を考え、勉強のためにいろんな本を探し読んでいる時に、 本屋さんでふと目にとまった 「金持ち父さん、貧乏父さん」ロバート・キヨサキ著 を読んだことが全ての始まりでした。 |
27歳 |
2002年8月 (平成14年) |
バリバリの営業会社へ転職 一念発起し、金持ち父さんが進めていた営業会社に転職する。 お金持ちを目指すために転職したものの、お金持ちなる方法がわからず、 一番悩んで苦しかった時期かもしれません。 何かをやらなければいけないことはわかっていても、何をすればいいのかがわからない、 未来が見えない、その恐怖を経験しました。 |
28歳 |
2003年11月 (平成15年) |
不動産業界へ転職 株の勉強や企業などお金持ちになるための手段を勉強する中で一番興味があり、 自分にあってそうな不動産の勉強をするために転職をする。 不動産業界もいろんな職種があり、土地の仕入れ、投資用ワンルームの販売、 抵当流れ競売の入札代行、賃貸の営業などなどなど 自身の迷いと共に職を点々とした時期でした。 |
29歳 |
2004年11月 (平成16年) |
大家さんデビュー 悩み、苦悩しながら勉強を続けた3年間を過ごし、 お金持ちになる手段として不動産に挑戦することを決め、競売不動産を落札できました。 記念すべき1件目の不動産です。 |
30歳 |
2005年12月 (平成17年) |
大手の不動産売買仲介会社へ転職 今まで不動産に関わることのない人生を歩んできた不動産のことを 何も分からっていない素人が大家さんデビューしたものの、 もっともっと不動産を深く理解したいと思うようになり 売買の仲介会社に就職しました。 この売買の仲介を経験することで不動産の知識と経験が飛躍的に上がり、 宅地建物取引士の資格も取得し、この転職が一番成功だったと思います。 |
31歳 |
2006年12月 (平成18年) |
自宅マンション購入 サラリーマンの属性を活かし、自宅マンションを購入しました。 それまでは古く狭い市営住宅に住んでいましたが、思い切って買ってみました。 |
33歳 |
2008年3月 (平成20) |
家賃収入キャッシュフロー月額20万達成 自宅を含め5件目の不動産を購入し、管理費などの経費を引いた 手取りの家賃収入(キャッシュフロー)が目標であった月額20万円を超えました。 お金持ちになる方法がわからず、悩み苦しんでいたのが何だったのかと 思うぐらい簡単に目標を達成しました。 普段からお金を使わない私は毎月20万の収入があれば生活できるので この数値を目標にしていましたが、 本当にあっさりと達成できた感じです。難しくもなく苦労も何もなくあっという間で簡単でした。 |
33歳 |
2008年11月 (平成20年) |
アパートローンにて1棟ものマンション購入 ここまでは小さな不動産を現金で買っていましたが、 この時期は9月にアメリカで起こったリーマンショックにより不動産業界には暗雲がたちこめ、 大手企業すら倒産する事態となり、世界が騒然となっていました。 サラリーマンで安定した収入がある属性を活かしてローンにてマンションを 手に入れることができ、一気に家賃収入が加速しました。 月額手取り家賃キャッシュフロー約45万ほどになりました。 |
34歳 |
2009年1月 (平成21年) |
サラリーマン卒業 リーマンショックの影響で不動産業界は大打撃をうけ、 私が勤めていた会社もリストラが始まりました。 私もそのリストラというとう名の自主退職を求められ、 予期せぬ形ではありましたが、サラリーマンを卒業することになりました。 労働収入が一気にゼロとなる危機的状況ですが、 6件目となる1棟ものマンションを好条件のローンにて 購入できたため、生活の心配もなく、お金の不安もありませんでした。 |
36歳 |
2011年2月 (平成23年) |
家賃月額収入100万円達成 サラリーマン卒業後も順調に不動産を増やし、11件目にて大きな目標であった 月額家賃の収入が100万円を超えました。 この時点では、あくまで収入が月額100万を超えただけで、 必要経費を差し引くと70万ほどでした。 |
40歳 |
2014年8月 (平成26年) |
家賃月額キャッシュフロー100万円突破!! 18件目にて、ローン返済や管理費などの毎月必要な経費を差し引いた キャッシュフローが100万円を超えました。 色々と遠回りしましたが、大家さんデビューして10年目の節目で達成です。 |
41歳 |
2015年1月 (平成27年) |
家賃月額キャッシュフロー200万を目指して法人設立 さらなる高みを目指すため事業拡大することを決め、法人を設立しました。 |
42歳 |
2016年10月 (平成28年) |
家賃月額収入160万達成 少しずつではありますが、物件も購入でき家賃も増えています。 無理に物件を増やすのではなく、条件のよい物件のみをゆっくりと買っていこうと思います。 |
50歳 |
2024年12月 |
不動産価格の高騰により停滞 18件目の不動産、2014年8月に落札したのを最後に競売物件を買えていません。 その後4件の不動産を買っていますが、すべて通常売買での購入です。 何度も入札を繰り返していましたが、私が想定する利回りでの価格では 落札できなくなり、不動産市場が活性化し価格が上昇し始めました。 |
年齢 | 家賃収入 | 備考 | |
2004年 | 29歳 | 0円 | 1件目購入し大家さんデビュー |
2005年 | 30歳 | 1,559,543円 | 2件の家賃収入 |
2006年 | 1,522,490円 | 3件目、自宅マンションのみ購入 | |
2007年 | 2,187,751円 | 4件目の区分マンション購入し少しUP | |
2008年 | 3,494,933円 | 5件目の連棟式一戸建て購入 | |
2009年 | 8,951,247円 | 6件目で1棟マンション購入し大幅UP | |
2010年 | 35歳 | 9,943,283円 | 7件目、現金で物件を増やし少しずつUP |
2011年 | 10,944,760円 | 9件まで拡大し一歩、一歩拡大中 | |
2012年 | 14,475,600円 | 13件まで増やし、収入も一気にUP | |
2013年 | 14,667,600円 | 16件まで増えるが退去などもあり年収は変わらず | |
2014年 | 15,684,300円 | 21件まで物件が増え来年度以降はかなり年収UP | |
2015年 | 40歳 | 16,855,000円 | 物件数は変わらず |
2016年 | 17,482,500円 | 10月に22件目購入、満室経営で年収増 | |
2024年 | 50歳 | 15,750,500円 | 家賃の値下げなどで収入減少 |
不動産市場高騰により10年近く、未購入 |
今後について |
2014年が最後の競売落札になり、不動産市場が高騰してきており、 入札を繰り返していましたが落札することはできませんでした。 当時は39歳と資産拡大の意欲も大きく、まだまだ物件を手に入れたいと思っていました。 2014年は4件も購入していますので、引き続き拡大を目指していました。 結果は、2016年に以前取引のあった不動産屋さんからの紹介で1件だけ購入することができましたが、 その後は、新しく購入することをやめました。 2024年、年齢も50歳になり、所有する不動産もかなり古くなってきていますので 数年後には、資産の組み換えで築年数の新しい不動産を購入できればと考えています。 |
サイト運営者である私の経歴 |
・15歳の高校入学と同時に初めた飲食店のアルバイトがきっかけで、 料理の世界に興味を持ち、高校卒業と同時に料理人の世界へ入りました。 高校時代を入れると、約12年間料理の調理師の世界で過ごしてきました。 ・2000年26歳のころ、独立(自分の店を持つ)を強く意識するようになり、 繁盛店の作り方、小さなお店の作り方などの本を読んでいるときに、 ふと立ち寄った本屋さんで山積みされていた 「金持ち父さん貧乏父さん」 ロバート・キヨサキ著 の本を見かけました。 最初は、「なんか面白そうな本だなぁ~」と軽い気持ちで購入し読んでみました。 読んでみると内容が衝撃的で新鮮で、今まで知らなかった世界が描かれており、 当時出ていたその他のロバート・キヨサキ氏の著書をすべて買い何度も読み返しました。 新刊が出るたびに購入し読むほどの衝撃でした。 この本との出会いが私の人生を大きく変わるきっかけとなり、その後も強い影響と衝撃をうけました。 ・人生の目標を 「自分の店を持つ」 から 「経済的な自由を手に入れる」 に変更し、 自分の店はいつでもできる。 今、自分に足りない技術を学ぶべき時期であると思うようになり、 思い切って営業の仕事へ転職ことを決意しました。 しかし周りの家族や知人からはかなり反対されました。 調理師は寡黙な仕事で普段あまり話さず、料理を作るのが仕事でした。 しかも私自身、あまり人としゃべるのが得意ではありませんでした。 一日中もくもくと仕事をする、職人気質な性格も変えなければいけませんでした。 せっかくこれまで厳しい修行に耐え学んできた、料理師としての技術、キャリアを 捨てることに対して正直、抵抗がありました。 しかし、経済的自由を手に入れたい。という強い決意は変わることがなく、 チャレンジする道を選び、営業の仕事に転職することにしました。 転職雑誌にのっていた未経験可のビジネスフォンをゴリゴリ営業で販売する会社で1年ちょっと勤めました。 ここで営業のイロハを学び、良い経験をすることができました。 ・調理師をやめた後も 「経済的な自由を手に入れる」 ため勉強を続け、 経済的自由を得る方法として、株や事業ではなく不動産にターゲットを決めました。 しかし、具体的にどう行動すれば、自由になれる? 不労所得はどうすれば手に入る? 不動産はどうやって手に入れる? となにをしてよいのか見当もつかず、不動産がほしいなら、内側に入ってしまえと安易な考えではありますが、 不動産業界へ転職することにしました。 ・不動産業界もたくさんの、業種があります。 職を転々とする中で 実録 競売マンション経営 山田一著 サラリーマンでも「大家さん」になれる46の秘訣 藤山勇司著 「お宝不動産」で金持ちになる!-サラリーマンでもできる不動産投資入門 沢孝史著 などの書物を読みました。 この3作は名著だと思います。不動産のことを全然知らないときの私でも、わかりやすく、読みやすい内容でした。 本を読む勉強と、仕事での実際の不動産の勉強と両方の経験を活かし、 2004年11月に一件目の収益不動産を購入することができました。 不動産業界でも私が経験したのは、 用地仕入れ営業、投資用ワンルームマンション販売、競売入札代行屋、街の賃貸屋、大手仲介会社 で1件目購入時は賃貸の営業マンをしており、理由は 「より現場に近づきたい」 と思ったからです。 収益を上げる基本は、お客さん=入居者の確保が重要です。入居者がいなければ、当然収入は 0 です。 入居者のニーズを的確に把握するためには、入居者に直接聞くのが一番!!と思い、賃貸の営業の仕事をしていました。 調理師をやめて、営業職に転職したのも、不動産業界へ転職したのも、不動産売買の仲介の営業をしているのも、 すべて経済的な自由を得るための勉強のためだと思っています。 不動産の営業の仕事で「元調理師」というのは、少ないと思います。 普通、調理師が転職する場合でも、働く場所であるお店や会社を変えるだけで、基本的にはコックとして調理をする仕事をします。 なかなか他業種への転職は少ない職種だと思います。 1件目、2件目購入時は街の賃貸屋、3件目の自宅、4件目、5件目、6件目は大手仲介会社時代に購入しています。 7件目以降は、友人の不動産会社を少し手伝いながらほぼ専業大家さんとして購入です。 |
私の生い立ち |
私の生まれ育った環境をお話しますと、生まれは京都府亀岡市です。幼いころの記憶はあまりなく京都の思い出はほとんどありません。 幼いころは、家庭の事情により児童施設で生活していました。 小学校の低学年の頃になると母と父と兄の4人で狭く古く汚いボロアパートながらも一緒に暮らせるようになりました。 ただ、小学校の低学年の頃の記憶には真面目に働く父の姿を見ていますので、この頃には普通に働いていました。 今思えばすごく貧乏だったと思います。しかしまだ幼かったこともあり、その生活が普通だと思っていました。 小学校の6年間だけで3度も引っ越しをしています。その理由が借金取りから逃げるためでした。 いつも、借金取りの人が家に尋ねに来ていた記憶があります。 今の取り立てと違い、昔はかなり厳しかったと思いますが、慣れていたせいか何も感じませんでした。 親父の方が怖かったので、すごんでくる人がそんなに怖く感じなかったせいもあると思います。 ただ、貧乏だった理由は収入がなかったり少なかったわけではなく、道楽ものの父のギャンブルと女ぐせの悪さだっと思います。 父は鉄筋工という職人で真面目に働いて当時で40~50万ぐらいの月収はあったと記憶しています。 いつも泣いている母の姿を見てきました。 しかし、父が元気で働けたのも十数年間だけで、私が高校に入る頃には、糖尿と高血圧、C型肝炎で 働けるような体ではなくなり、生活保護を受けることになりました。 兄は高校に進学せず中学卒業後すぐに働きにでました。 私は、高校だけでも卒業したかったので、公立高校の合格を条件に受験し、合格できましたので高校に通えることになりました。 授業料は生活保護世帯ということもあり、低収入者用の減免制度を利用し、授業料などは減免され、無料だったと思います。 交通費や普段のお小遣い、ほしいものは自分でアルバイトをしながら、なんとか高校だけは卒業することができました。 こどもの頃から金銭的な面で親に甘えた記憶はありません。 高校入学後はすべて自分で働いたアルバイト代でほしいものは購入していました。 思春期ですので、バイクの免許を取り大型バイクを購入しましたが、毎月きちんとアルバイト代を貯金し購入しました。 この頃から金銭的な基礎や考え方はできていたのかもしれません。お金にルーズな両親を反面教師にしていたのかもしれません。 ただ、同じ環境で育った兄は、今現在も相も変わらずお金にルーズです。 両親とそっくりでパチンコなどのギャンブルに夢中です。私は一切ギャンブルはしません。 ギャンブルをする人は投資をするべきではありません。 自分のお金、支出をコントロールできない人が投資を成功できるとは思わないからです。 一般の人とは少し違った環境で私は生れ、育ちました。 貧乏な環境、ギャンブル好きな家庭で育ちましたが、私自身はアルバイトを始め、 働いてお金が手に入り始めてからもきちんとお金を貯める習慣だけはきちんと持つようにしていました。 どこか小さいながらにも両親をみていたのだと思います。反面教師として。 そんな父も2005年11月に亡くなりました。 いつもそばにいるのが当たり前だった父が今はいません。 道楽もので、周りに迷惑ばかりかけていて好き勝手な人生を生きた父ですが、そんな父が私は大好きでした。 亡くなる2年前に脳こうそくのため、集中治療室に運ばれ、 お医者さんからは「覚悟して下さい」と言われましたが、なんとか命を取り止めました。 しかし、その時の後遺症で左半分が麻痺し言葉もうまくしゃべれなくなりました。 入退院を繰り返し最後は苦しむことなく、静かに息をひきとりました。 まだ68歳でした。まだまだ元気な方の多い歳だと思います。 そして、最愛の母も2008年5月に父のあとを追うように亡くなりました。 父が他界してからは、ほぼ寝たきり状態になり、自宅で介護するようになりました。亡くなる一年前から入院し寝たきりになりました。 父を亡くしてから、急に元気がなくなり、生きる気力を失ったみたいです。 徐々に体力を奪われ、特に大きな病気があったわけではありませんが、老衰により最後は静かに息をひきとりました。 65歳でした。 いつか必ず訪れる 「死」 というものを普段は意識することなく、生活をしています。 私自身、いつも側に居るのが当たり前だった父を亡くして初めて、身近に死を感じました。 その父のあとを追うようにして亡くなった母。人の死を分かっているようでわかっていませんでした。 あらためて、死という現実を感じ自分がなにをすべきか、どういった人生を送るべきかをあらためて考えさせられました。 普段は死を意識することなどありませんが、100%確実にいつかは訪れる現実があります。避けては通れない道です。 父の死を目の当たりにし、 後悔・悔いのない人生を送りたいと強く思い、新しい人生を歩む決意しました。 限られた時間をどう生きるかを考え、仕事やお金に囚われない人生を送るために不動産投資を続けたいと思います。 |
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